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太田道灌(1432〜1487年)は15世紀の半ば(室町時代)、動乱の関東を舞台に活躍した当代随一の英傑であった。
幼名を鶴千代丸、15歳で元服し太田源六郎資長を名のり四十歳を過ぎて入道し太田道灌を名のった。
この頃の関東は幕府の威令も届きにくく混乱のさ中にあった。
時あたかも京都では応仁の乱(1467年)
が勃発するという 足利義政、日野富子の時代である。
関東各地に蟠居する豪族や国人が蜂起して新興勢力となり、京都幕府を翻す古河公方(足利成氏)を 担いで、幕府の権威を奉ずる関東官領上杉氏に公然と対抗してきた。
太田家は管領上杉一族の傍流、扇谷上杉家の家宰(家老)職を代々勤める家柄であった。
道灌は康正元年(1455年)24歳で父道真から家督をつぎ扇谷上杉家の家宰となった。
しかしこの時期の上杉勢は敵対する古河公方勢に対して甚だ劣勢で、戦況は常に不利な局面で
推移するというありさまであった。
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