琵琶湖歳時記    道灌物語
 
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第2話”江戸城を築城す”

京都幕府
にとって関東情勢の悪化は幕府存続に関わる大問題であることから、将軍義政は上杉に対して新たに強力な拠点の構築を促してきた。時に道灌二十五歳。こヽに全上杉勢の与望を一身に担って、新城(江戸城)の築城に取り組み、起死回生を図ることヽなったのである。

幼時より天才の誉れが高かった道灌は、まず大局的見地にたって、凡ゆる戦略上の条件を満たしてくれる地点として築城の地江戸に決めた。この頃の江戸と呼ばれる地域は現在の千代田区辺りの狭い地域のことで麹町台地の先端部に限られた芦荻(ろてき)の茂る小さな漁村であった。こヽに長禄元年(1457)四月、苦心の大土木工事の末、江戸城はとりあえずの完成をみた。

完成してみると、海近い丘陵にそびえるこの新城は威風堂々としてあたりを祓い、人々の想像をはるかに超えた巨城であった。特にその縄張り(設計)に於てはさすがに築城の泰斗と謳われた道灌だけに、それまでの常識を破る画期的なものであった。後世「道灌がかり」と呼ばれるこの比類なき堅城の縄張り法は以後の築城史に大きな影響を及ぼしたといわれている。
築城後、補強と拡張を重ね、二十年後の文明七、八年の頃ほヾ完成したと考えられている。

道灌はこの江戸城で約三十年の間城主として暮したが、道灌歿後こヽに入った北条氏によって城は更に拡張され、徳川氏がこヽに幕府を開くに及んでなお数次の大工事が行われ、城は益々大規模となった。今では道灌時代を偲ぶものとしてはあの荘厳な雰囲気を漂わせる三日月堀と、唯一長禄の武蔵野の姿を今に伝える道灌濠が皇居内に残るのみとなっている。

長禄元年二十六歳で江戸の主人となった道灌は城中の居館「静勝軒」に洛舎、湘舎の詩僧や名高い文人、歌人を招き文雅の道を楽しむ静かないっときを過していた。
彼は用心深く賢明な人であった。無駄な周囲の抗争や騒乱に巻き込まれることを慎重に避けて、城と城下の整備を図ることにつとめ、城内では兵士を厳しく訓練し独自の用兵術を用い、戦う専門集団を育成した。


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