琵琶湖歳時記  道灌物語
 
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第4話”歌人太田道灌”


道灌の祖父資房
は和歌の達人であり、父資清道真)も歌人として京の文壇にも聞えた武人であった。道灌には三代にわたる歌人の血が脈々と流れていたのである。

元国定教科書掲載の「山吹の里」挿絵

道灌といえば必ず出てくる「山吹の里」の逸話がある。若い頃彼は武勇にふけって風雅を解さず狩猟を最も楽しみとしていた。
ある日近郊へ狩に出かけて俄か雨にあい、とある農家に立ち寄って蓑(みの)の借用を頼んだところ、出てきたその家の少女が今を盛りの山吹の一枝を黙って道灌に捧げた。彼は山吹にこめられた少女の謎がわからず不快の思いで雨中を帰館したのである。のちに老臣から少女の行為が実は古歌にことよせたものであることを知らされ、己の無知を深く恥じ、それ以来歌道に励みその道の達人になったというものである。
その古歌とは

なヽへ八重 花は咲けども 山咲の
        みのひとつだに なきぞ悲しき


これは御拾遺集の兼明親王の歌である。
少女は家が貧しく蓑さえ持ち合せがないことを奥床しく答えたのだろう。

道灌自身の歌としては上洛の折に将軍義政や後花園上皇に武蔵野の景色を聞かれて詠んだ歌など数多く残っている。


我庵(いお)は松原つヾき海近く
       富士の高嶺を軒端にぞ見る


これは江戸城内の居館静勝軒から眺めた風景を詠んだもので、いかにも気宇雄大、堂々たる、ますらお振りの歌であると高く評されている。

道灌愛用の琵琶 千鳥
(福井市立郷土歴史博物館蔵)
旧東京都庁前庭に建立されていた
太田道灌立像