好事魔多し。 道灌の八面六臂の活躍とその華々しい成功は上杉宗家の山内上杉家をはじめ主君扇谷上杉定正の嫉みさえかうことヽなってしまった。 文明十八年(一四八六)七月二十六日、主君上杉定正からの饗宴の招きにおおじて相模国糟屋(神奈川県伊勢原市)の居館に赴いた道灌はこヽで謀殺された。 時に道灌五十五歳の最期であった。まさに巨星落つの感大きく、その後関東はふたたび騒乱情態となり、二十年後には山内、扇谷の両上杉家とも北条早雲の孫氏康によって滅ぼされてしまった。
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